「縁起でもない」と言わずに、
伝えておくべきことがある。
ご好評いただきました、介護ノートvol1.「はじめての介護」。
今回も、第1回と同じメンバーにお集まりいただき、介護の現場のリアルなお話、呉市のエンディングノート「人生の彩ノート」などについて、お話を伺いました。
ご好評いただきました、介護ノートvol1.「はじめての介護」。
今回も、第1回と同じメンバーにお集まりいただき、介護の現場のリアルなお話、呉市のエンディングノート「人生の彩ノート」などについて、お話を伺いました。
1961年広島県呉市生まれ。映画監督&ノンフィクション作家。
東京大学文学部卒業。同年、森永製菓(株)入社。その後、テレビ番組制作プロダクションを経て現在はフリー。2018年、認知症になった母と老老介護する父を娘の視点から描いたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』で映画監督デビュー。20万人以上を動員する大ヒットとなり、文化庁映画賞など数々の栄誉に輝く。2022年の続編映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』では、母の看取りや延命治療についても描いた。現在、くれ観光特使と呉市総合計画審議会委員も務める。
著作
『ぼけますから、よろしくお願いします。』(信友直子/新潮社)
『ぼけますから、よろしくお願いします。おかえりお母さん』(信友直子/新潮社)
『おとうさんは103さい』(信友直子・吉田尚令/さ・え・ら書房)
『認知症介護のリアル』(信友直子・恩蔵絢子/ビジネス社)
『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(信友直子/文藝春秋)
(株)西日本電工社、介護施設めぐみ園 代表取締役。趣味は釣りで、マグロを釣って介護施設で解体ショーを実施したことも。令和6年7月に呉市広弁天橋町に高齢者グループホーム、サ高住をオープン。
呉市中央地域包括支援センター管理者。社会福祉士。主任介護支援専門員。認知症地域支援推進員。
呉市介護支援専門員連絡協議会会長。一般社団法人広島県介護支援専門員協会 理事。
居宅介護支援事業所めぐみ園 管理者。主任居宅介護支援専門員。准看護師。ケアマネジャー歴11年。3児の母。信友氏のお母さんのケアマネジャーも務めた。
本日もお集まりくださり、有難うございます。
今回はまず、介護の現場のお話から…。
早速ですが、介護の現場は、人は足りとるんですか。
ただ、技能実習生という形で日本に来てるから、慣れた頃には母国に帰らんにゃいけんのですよね?
ええ、3年で。そこから資格を取れば、2年は延長出来るんですけどね。
でも、ルールも少しずつ変わってますから、もしかしたらその3年後には、もうちょっと居ていいという風になりそうな気もします。
そういう人たちに頼らんかったら、本当に人手が足らんよね。
去年、福井の村にインド人の介護士が15人やって来たっていうドキュメンタリーが放送された話題になったんよ。
みんな日本に行くためにインドですごく勉強して何回も試験を受けて、選ばれた人は行けるけど、行けんことになった人は大泣きしてた。
だけど、いま日本では5年で帰らんといけんし、円安だから日本に来るメリットも無くなってきてる。でも、ドイツだったらずっと居られるから、「次はもうドイツに行きます」みたいな感じになってるんだって。
行き先としてもう日本が選ばれんようになる可能性もあるから、3年や5年で実習生を返すのは止めた方がいいって専門家が言ってた。
昔は実習生といえばタイ人も主流だったのですが、タイが経済発展してあんまり日本に来んようになったという話を聞きます。
一方で、先日行ったインドネシアでは、まだ仕事にありつけん若者が溢れている。日中から駅の中心部にたむろして、ずーっと携帯触ってるんです。Uberの配車サービスや個人タクシーみたいなのをやってるんですけど、あれでお客さんを取り合うのが大変みたいで。
話を聞くと、インドネシアの平均月収は3〜4万位で、日系の企業に勤めると7〜8万位もらえる。技能実習で日本に行くと、日本で引かれても13〜14万位は手元に残るらしいから、あと数年は日本も魅力があるんだろうなって。
だからうちで面接して、「あなたとあなた、採用になりました」って言ったら、「うわぁ!」って宝くじに当たったみたいに喜ぶんですよ。
結構、優秀な子たちなんですよね、日本に来れるっていうことは。
ドキュメンタリーのインド人もそうだった。
ただ、日本語を勉強して来とるのに、派遣されたのが福井で、おじいさんやおばあさんの言葉が方言じゃけん、分からんかったって(笑)
利用者さんからのウケも良かったですね。若いけん、可愛がられとってですよね。
30歳位の人もいましたね。中には、「もし日本に来れるなら、子どもは母に預けて来ます」と言う人もいた。子供はまだ1歳とか。
え〜?子どもを置いて来るんですか?
そんなん聞いたら、こっちが採用しづらいよって。
でも、そうしてまで来たいって言う人は、来さしてあげた方がいいかもしれんし…。
ドキュメンタリーでも、乳飲み子が「お母さん、行かないで!」と泣き叫ぶのをふりほどいてまで来とったよ。
そうなんですね、すごい。私は呉から離れられん。
信友さんは、若い頃は呉から離れようと思ってました?
私?高校の頃は出たくてしょうがなかった。ありがちな話じゃけど、都会に憧れてね。
それにうちの親ってほんとに地味だし、若い頃ってつまらんと思いよった。いま考えたら、いい親なのに。子どもの頃は分からんのよね。
信友さん、講演は月に大体どれくらい入ってるんですか?
月によって違っていて、9月から11月と、年度末の3月は特に多いんですよ。去年は、数えたら1年で100回やってた。
すごいですね!忙しいですね。
3日に1回は講演。
コロナ禍前には募集しようかと考えとったけど、コロナ禍になって全て仕事が無くなったから、募集しなくて良かったと思って。そういう事態がまたあるかもしれんと思ったら、いつの間にかずるずると1人で…という感じかな。
全部自分で交渉して、調整してとなると、大変じゃと思いながらね。
小山は日本全国、どこでも出張出来ますから、一緒にどうですか?
小山さんを連れて行ったら、利用者さんが「小山さん、どこに行ったん?おらんと困るんじゃけど!」って大騒ぎになるよ(笑)
国内だったら、1日で帰って来れるから大丈夫(笑)
最悪、東京日帰りとかね(笑)
美味しい物をいっぱい食べて帰って来るとか(笑)
信友さんと一緒にケアマネジャーの素晴らしさを講演して回ったら、もしかしたらケアマネジャーをめざす人が増えるかもしれんよ。東京都知事からもオファーが来たりして(笑)
いやいやいや(笑)
そう言えば、この前、「ケアマネジャーが足りないんです」って話になったんですよ。包括さんは足りてますか?
募集中です。今は、平均年齢が少しずつ上がっていっています。
やっぱり、どこも足りてないんですね。
ほんまにケアマネジャー、少ないですよね。かわいそうなくらい。
平均年齢が上がりよるということは、これからもまだドッと減るってこと?
減りますね。今いる職員はすばらしい人ばかりなので、辞めてほしくないんです。60歳が定年なんですが、再雇用で最長70歳までいけますよ、と。
う〜ん、70歳まで働きたくないなぁ。
だいたい僕らの年代以上、50代半ばから後半のケアマネジャーさんが多いんです。
関係ないですよ。
でも、そんなに足りないなら、私が小山さんに会えたのは奇跡だったかもしれない。
有難うございます。
私、同級生やいろんな人に、「小山さん、いいよ〜」って紹介しよる。
難しいケースを担当するのが多いんですけど。近所の人に「誰かええケアマネジャーおらんか」と聞かれたようで、ご指名をいただくことはあります。
でも状況によっては、私よりすばらしいケアマネジャーもたくさんいるので、その方を推薦することもありますよ。
相談相手のつもりで行ったら、いつの間にか夫婦とも見よったとかね。
うちも、小山さんは母のケアマネジャーじゃったのに、いつの間にか父のケアマネジャーにもなっとるよね。
お父さんにとっては、近所の子供みたいな感じかな。
「また遊びに来てや、いつでもええけ」っていっつも言いよる。仕事で来よるのに(笑)
でも、そういう関係性が一番ですね、ケアマネジャーは。
そういう関係があったらいいですよね。
「再々来てや〜」ってね。
でも、書類仕事が多くてなかなか行けないんですよね。
そう、書類仕事。これに追われていて、用事が無いのにふらっと行くというのが、今は少なくなっていきよるんですよね。でもケアマネジャーは本来、「近くまで来たんじゃけど、どうしよる?」って顔を見せるべきだし、息子さんや娘さんに「今日こうだったんですよ」っていう話が出来たらいいよね。そういうのが一番大事だろうなと思うんですよ。
スマホじゃよう扱えんかったりするんで、まぁちょっと難しいだろうなと思います。
それに、ある程度関係性が築けている所ならオンラインでやり取りというのはあるだろうけど、「はじめまして」のオンラインは、やっぱり違うかなあって。
コロナ禍でZoomが定着して、仕事では次から打ち合わせはZoomでと言われるんですよ。利用者さんもね、何かあったらもうオンラインでって感じで。
ただ、高齢の利用者さんは24時間オンラインで繋がるのは難しいですよね。
うん、それに耳が聞こえなかったら、それこそオンラインは難しいですしね。
ケアマネジャーも、まだまだ操作に慣れてない人も多いと思います。
年配の方だと、「どこのボタンを押したらええんですか」とか。やっぱりちょっと訓練が必要かなと。
先日、民生委員さんの会議で出た話なんですが。
担当していた身寄りのない方が調子を崩されて救急車を呼んだ時、救急隊に「一緒に乗ってください」と言われて、一緒に乗って行ったけど、その方が病院で亡くなったらしいんですよ。その後、病院から支払いを依頼されて、「私はどこまですればいいんですか?こんなだったら、民生委員さん、成り手無いですよ!」って言われて、「まぁ、そうですよね」って。「そんな時には包括に言やええんよ」「いやいや、包括に言われても…」。
そういう一人暮らしで身寄りがない方には「彩(いろどり)ノート」を活用してほしいんですよね。「物が言えんかった時にはこういう風にしてほしいとか、治療はしてくれるなとか、ここに連絡してくれとか、これはするなっていうのがこれ一冊にまとまっとるけん、そういった方には聞いておいた方がいいと思いますよ」と言ったんですよ。
「身内がおらん」と言っても、後から出て来るケースは結構あります。その方もアパートを持ってらっしゃったということだったんで、「あ、たぶん出て来ますよ」って。本人さんが連絡してほしくないだけであって、姪っ子とか甥っ子とか後から出て来るかもしれないというケースはあります。ただ、本人さんが「おらん」と言われると、僕らは分からんですよね〜。「もしもの時は誰に言やええかねというのをあらかじめ聞いとかんにゃ、皆さんやっぱり困りますよね」という風に言って、とりあえずその場を納めました。呉市はいいノートを作っているので、是非活用してほしいです。
そうですよね。
ノートの欄を全部埋める必要はないんですけども、本当に大事な所だけ、こういう風にしてほしいっていうような、そういう所は聞き取っていただきたいなと思います。
たぶんこれ、呉市外や広島市外の方でも、似たようなものがあるかと思います。
この彩ノート、途中から中身を変えました?
“もしも認知症になってしまったら”という項目、昔は無かったですよね。それに昔は、「人生の最期をどこで迎えたいか。家か?病院か?」とか、「延命治療を望むか?」といった一番肝心な質問が彩ノートには入ってなくて、そこだけは広島県で発行してる別の冊子に記入するようになっていて使いづらかった。
今までは「私の心づもり」という終末期の医療のあり方(アドバンスケアプランニング)について尋ねる資料が別冊になっていたんですが、今回の改訂で一緒になってるんですよ。ミシン目になっているので記入したら主治医と共有することができます。今までと同じように2枚あるので書き直しもできます。
こんな素晴らしい冊子なのに、呉市民一人ひとりには配ってないんですよ。市役所や包括には置いてあって、希望者にはお送りしてるんです。
私も書いとかんといけん。
あと、先日、「市民と医療・介護関係者のための合同公開講座」に170人位の方に来てもらって、寸劇をしたんです。
劇中で、子供さんが家族の方にこういう話をしようとしたら、「縁起でもない」と言われて話が出来んかったというシーンがあるんですけれども、僕らも「縁起でもない」と言われるんですよ。
皆さん、「死ぬ時のことじゃろうが」って言われるんじゃけど、「いや、今から起きる話じゃけん、今からが本番だからね」って言うんですよ。
ただ、認知症と同じで、死を忌み嫌うところがまだまだ多いので、なかなかその辺りはバリアがあって。嫌がるのは男性の方が多い…かな。「わしに早う死ね言うんか!」とか。
ちょっと若い世代だと、「おー、大事なよのぉ。町内会で渡すけ、これ100冊くらいくれえや」っていう方もあるんで、「はいはい」っていろんな所で渡しよるんですけれども。
ほんとにまず、手にとっていただくところからね。
こういうのを書くと、自分の人生も振り返られるし、これから先の生き方とかも考えたりして、自分のためにもいいですよね。自分とも向き合えるから。ちょっと振り返ってこれからのことを考えることで、「これからどう生きていこうか」と真面目に考えるきっかけをもらえる気がする。
私も父と人生会議みたいなのをしたんですよ。いつもは「お父さん、今日、何食べる?」みたいな話しかしてなかったのが、それをきっかけに深い話ができて、父がどういうことを大事にしとるんかとか、人となりや人生哲学とかが分かるようになったのは良かったかなぁと思いますね。
ま、私も最初は縁起でもないと思って話が出来んかったけど、いざしてみたら、結構収穫があったなぁと思って。
そうなんですよね。家族のことって、ふだん話しとるけ、よう分かっとるじゃろうと思っていても、実は分かってないことも結構多くて、「こんなこと思っとったん?」って。
どこに置いたか分からんようになったとかね(笑)
「これを書くことだけが目的じゃないけん。これをネタに家族さんと話をすることが大事なことじゃけね、それを見せんにゃダメよ」って言ったら、「え!?見せんにゃいけんのですか!?」って。
100歳の方だったんですけど、妹さんと最期をどうするかって決めたのを、手紙に書いとられる方がおったんです。うちの施設に入居される時、「小山さん、こういう意思があるからね。最期は、こういう風にさせてね」という形で手紙をもらったことがあって。
この彩ノートがまだ発行される前の話だったので、「すごいなあ」と思いました。
すごい、素晴らしいですね。
ほんとに素晴らしい。ちゃんと考えとっちゃって。
最期、ここで看取らせていただいたんですけども、本当にみんなに愛されてて、職員さんに囲まれてっていう形で。その方は子供さんがいらっしゃらなくて、身内は妹さんだけだったので、そういうのもありだなあと思って。
サ高住で100歳を迎えられた時は、職員、入居者様でお祝いをさせて頂き、とても喜んでくださいました。
だんだん、食事がとれなくなって、今後の方針を決められる時に、妹様のほうから入居の時に渡した手紙があると思いますが、本人の意向のまま支援をしてほしいです。
との事で、かかりつけの先生とも相談し、本人が苦しくないよう、特別な医療はせずに施設のほうでお見送りさせてもらいました。
本人様のお顔も穏やかで、家族様も職員も素晴らしい体験をさせてもらいました。
死ぬ間際のイメージ、僕らは大体分かっとるんですけども、ドラマとか映画を見よったら、最後の最後までお喋りして、ガクッと死ぬじゃないですか。絶対に違うけん。絶対あんなんじゃない。もう物言えんけん。
その時に「どうしたら良かったんかね」って家族さんは絶対後悔するようになるから、「本人さんが自分の声で話せるうちに聞いといた方がええよ」って言うんですよ。「最期の時は、ちゃんと物言えるんじゃろうか」って言うから、「いや、病気によるよ」って。「管を使ったら昏睡状態で苦痛は取り除けるかもしれんけど、もう何も話せんようになるんよ」って言ったら、「ああ、そうなんですか…」という方も結構多くて。やっぱり知らんよね、こんな事。管を繋いだら、逆にもう死ぬことが出来ないとか。
そうですよね。
延命治療と言えば、病気でごはんが食べられないけど、しっかり歩けて、他のこともしっかりしていて、栄養さえ摂れれば生きられるのに「胃ろうはしたくない」って言われてた方がいらして。
でも、いろいろ話して最後は胃ろうを選ばれました。
いや、そうですよ。やっぱり皆さん、そうですよ。「延命治療はせんけん、救急車も呼ばん」って言っとっても、でも…。
いざとなったら、「救急車、呼んでくれ〜」って。
看護師さんとかが前もって説明していても、呼吸状態が悪化する本人を見ると、家族は「このまま見殺しには出来ん、救急車!」っていう風になる。でも、僕らはそれを責められん。それも選択だからね。
施設内はとても明るくて、でも派手過ぎず、リビングには間接照明も取り入れて素敵だなと思いました。個室も、天井が高いせいか広く感じましたね。職員さんもみなさん笑顔が良くて、高齢者の方も元気で過ごしていただけるのではないかと思いました。
呉市では珍しい3ユニットのグループホームとなります。設備や食事面だけでなく、認知症の方が自分らしく過ごせるように、サ高住の方では、できるだけ自立した生活が過ごせるように、職員一同で関わっていきたいです。
入居者様・家族様が、「最後の棲み処として選んでよかった」と思ってもらえるような施設を目指していきたいです。
今日も、他では滅多に聞けない深いお話を聞くことが出来たのではないかと思います。
皆さん、有難うございました。